社会党右派所属の民主社会主義者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 02:42 UTC 版)
「中井徳次郎」の記事における「社会党右派所属の民主社会主義者」の解説
三重県の日本社会党史や三重県選出国会議員や伊勢年鑑の内容である。イギリス労働党の穏健社会主義者として民主社会主義を目指したが、社会党執行部は成田知巳委員長以後に左旋回して、社会党左派による労組中心のマルクス・レーニン主義の政党となっていた。社会党右派の議員として社会民主主義や民主社会主義などの革新政策を目指していたが、日本社会党の三重県連会長を努める中井の対抗馬として、1967年(昭和42年)1月29日の第31回衆議院議員総選挙で新人で社会党左派の福島重之を樹立して、1969年(昭和44年)12月27日の第32回衆議院議員総選挙で労組出身で社会党左派の田口一男候補を、三重第1区に立候補させた。党執行部と対立した結果、徳次郎の秘書を務めた息子の洽と共に社会党を離党する。長男の中井洽は民社党に移籍して、中井家の世襲議員として社会主義穏健派の後継者となった。
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