砲台の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/19 04:24 UTC 版)
「タ・キアン (商船改装砲艦)」の記事における「砲台の攻撃」の解説
翌29日、タ・キアンはオランダの蒸気スループ・ジャンビ(D'Jambi)と共に横浜を出港し、会合点の姫島に9月1日の夕刻に到着した。翌日残りの艦艇が到着し、艦隊は合計17隻となった。タ・キアンに加え、英国9隻(ユーライアス、コンカラー、ターター(Tartar)、レパード(Leopard)、バーロウ(Barrow)、ペルセウス(Perseus)、アーガス(Argus)、コケット(Coquette)、バウンサー(Bouncer))、フランス3隻(セミラミス(Semiramis)、デュプレクス、タンクレード(Tancrède))、オランダ4隻(アムステルダム(Amsterdam)、メデューサ(Medusa)、メターレン・クルイス(Metalen-Kruis)、ジャンビ)である。 9月4日午前10時、艦隊は下関に向かって出発した。艦隊は3列の縦陣を形成し、タ・キアンはフランスの縦陣の後に続いた。午後4時、連合艦隊は沿岸砲台を視野に納める位置に投錨した。24時間後、陸地に接近し長府城山から前田・壇ノ浦にかけての長州砲台群に猛砲撃を開始した。 午後5時30分、視界内にある砲台は全て沈黙した。その夜、英国の水兵と海兵隊員が前田浜に上陸し、砲台の大砲を破壊した。 長州藩は翌9月6日の朝6時、壇ノ浦砲台から連合艦隊に対する砲撃を開始した。艦隊はすぐに態勢を立て直し、反撃を開始した。その間、タ・キアンはフランスの蒸気コルベット・デュプレクスの上陸用ボートを牽引して、砲台の近くに接近していた。正午までに、英国、フランス、オランダの陸兵が砲台を占領した。連合軍は長州の逆襲を簡単に撃退し、一部は下関市街を目指し内陸部へ進軍して長州藩兵と交戦した。夜がふける前に、上陸部隊は艦に戻った。 9月7日と8日、タ・キアンは外科医と23名の負傷した英国兵を収容し、9月21日夕刻に横浜に戻った。砲台攻撃の間に、タ・キアンはパロット砲から18発の砲弾を発射し、遠征隊における自身の存在を示した。
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