矢作工業設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)
前述の通り、1931年に矢作水力は天竜川電力を合併して天竜川開発計画を引き継いだ。ところが当時の逓信省は、電力過剰の傾向にあるとして統制的見地から発電所の新規開発を拒絶する方針を定めていた。ただし開発した電力を自家利用するのであれば許可が下りたことから、矢作水力では余剰電力を吸収する化学事業の創業を試みた。このことが化学事業の進出・子会社矢作工業設立の動機である。 1931年(昭和6年)8月、矢作水力では余剰電力活用策としてアンモニア工業への参入を決定した。大量の電力を投じ電解法により原料水素を製造、ウーデ式アンモニア合成炉によりアンモニアを合成し、製品の硫酸アンモニウム(硫安)や硝酸を製造する、という事業である。ハーバー・ボッシュ法よりも低圧低温操業が可能なウーデ式アンモニア合成法の特許は当時南満州鉄道・昭和肥料(現昭和電工)と大同電力系の大同肥料の3社が共同保有していたが、矢作水力はこのうち大同肥料の共有権を1931年10月26日付で買収した。また工場用地については名古屋港第7号埋立地(名古屋市港区昭和町)のうち2万8840坪を76万円余りで買収するという契約を同年11月19日付で愛知県との間に結んだ。 1933年(昭和8年)1月、矢作水力は工場建設に着手した。その一方で事業子会社矢作工業の設立準備も進め、同年5月5日、名古屋市に新会社矢作工業株式会社を設立した。資本金は300万円で、6万株を矢作水力をはじめとする発起人で引き受けた。社長は矢作水力社長の福澤駒吉が兼任した。矢作工業設立により工場建設は同社が継承。同年末よりアンモニア合成を開始し、翌年から硫安・硝酸の製造に着手した。月産能力はアンモニア720トン・硫安3000トン・硝酸300トンで、製品の硫安は三菱商事に委託し販売、硝酸は火薬メーカーや海軍火薬廠へと納入した。
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