相撲界における師弟関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 13:03 UTC 版)
相撲界における師匠の定義は、日本相撲協会の規定(詳細は「相撲部屋の新設」及び「相撲部屋継承者」を参照のこと)を満たし年寄名跡を取得した状態で引退し当該名跡を襲名後、日本相撲協会の承認を得て、特定の住所に自身及び弟子(力士として育成する目的の下、親権者から身元を預かった人物)の生活拠点(相撲部屋)を設け、経営する元大相撲力士のことを示す。部屋によっては部屋を経営する年寄以外に他の年寄が在籍するケースも多いが、部屋付き年寄と定義され一般的には師匠とは呼ばれない。但し上述の規定を満たした部屋付き年寄(もしくは現役力士)が相撲部屋新設を前提に、自身の部屋を設ける前に弟子を入門させ、正式に部屋を設けた後で当該弟子と共に移籍するケースもあり、このような形で師匠になる予定の年寄もしくは力士が所属する部屋に暫定的に入門した弟子を内弟子と呼ぶ。具体例として把瑠都凱斗は濱ノ嶋啓志が新設を予定していた尾上部屋への入門を前提としていたが、当初は増位山太志郎が師匠を務めていた三保ヶ関部屋に入門し、尾上部屋が正式に開設されたと同時に移籍して、以降は引退まで尾上部屋の力士として活動した。そのため、三保ヶ関部屋に在籍していた時期の把瑠都の身分は「年寄尾上(濱ノ嶋)の内弟子」であったと言える。尚、師匠の師匠のことは大師匠と呼ぶ。たとえば千代大海龍二にとって、師匠は千代の富士貢、千代の富士の師匠の北の富士勝昭(あるいは北の富士の前に千代の富士の師匠だった千代の山雅信)が大師匠となる。
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