相撲時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 04:10 UTC 版)
地元・山崎町の中学校を卒業後、三保ヶ関親方(元大関・増位山)の関係者の紹介で三保ヶ関部屋に入門し、1960年5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、部屋の名と本名の松本に因んだ「三保ノ松」。横綱:北の湖、大関:増位山(2代目)の兄弟子に当たる。 その後序二段94枚目まで進むも、1961年1月場所後に、家庭の事情で廃業した。しかし師匠が廃業届を提出しなかったため相撲協会に籍を残すことができ、これにより再入門が許された。1962年3月に再度、三保ヶ関部屋に入門。この時の四股名が「大位山」で、以後、再廃業まで通した(下の名は当初は本名の「勝三」、後に「勝蔵」とした)。右を差して左でおっつける取り口を得意とし、1967年11月場所で十両昇進、1968年11月場所で新入幕を果たした。 しかし、緊張する性格で力を出し切れず攻めが遅かったこともあって新入幕の場所は4勝11敗と大きく負け越し、幕内はわずか1場所しか務まらなかった。以後は1年以上十両にあり、1970年5月場所では東十両9枚目の地位で3勝12敗と惨敗、幕下陥落が決定的となったため、この場所を最後に25歳で廃業した。
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