白林少年館版「アフリカ行き」
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「ドリトル先生物語全集」の記事における「白林少年館版「アフリカ行き」」の解説
社会情勢が次第に軍国主義へ傾斜し、児童書の分野においてもその流れは例外ではなかったことから息苦しさを感じた石井は「本当に子供が読みたいもの」を刊行する信条に基づき1940年(昭和15年)に白林少年館出版部を設立し、その刊行ラインナップの一点として"The Story of Doctor Dolittle"が選ばれた。 翻訳に当たっては石井が原文の下訳を行い、井伏がその下訳を「自分の好みのままの文章」に改めたとしている。井伏は文藝春秋の雑誌『文學界』1940年12月号でエッセイ「童話 ドリトル先生物語」として冒頭部分の翻訳と原作者のロフティングがイギリス陸軍・アイリッシュガーズ連隊の志願兵として西部戦線に従軍した際、戦地から2人の子供に宛てて挿絵付きで書き送った物語が原型になっていることを紹介すると共に、主人公の姓"Dolittle"は本来の英語に即した発音では「ドゥーリトル」であるが「日本の子供には舌先きに馴染みがないだらう」と考え「ドリトル」という表記を用いることにした旨を述べている。こうして訳された『ドリトル先生「アフリカ行き」』は白林少年館出版部から1941年に刊行されたが、軍国主義化を強める一方であった社会情勢の煽りを受けて白林少年館が閉鎖されたことに伴い、出版部も活動停止となってしまう。しかしながら、出版業界では『アフリカ行き』に対して一定の反響が見られたようであり、同年12月にはフタバ書院成光館が新装版を刊行している。
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