白井線の開通とは? わかりやすく解説

白井線の開通(1974年頃〜)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:55 UTC 版)

東洋バス」の記事における「白井線の開通(1974年頃〜)」の解説

ここまで路線大和田岩戸大和田幕張という2つ路線母体にし、主に今の八千代市街を中心に発展してきた。しかし、昭和40年代末より路線他の地域拡がるようになってきた。それがこれから述べ白井線である。 白井線1974年開通正確な記録は見つかっていないが、「広報やちよ」および『印西町資料集』(印西市図書館にあり)によれば、同路線1974年以降から大和田駅白井運行されているという記録残っているが、それ以前については記録がない。 「広報やちよ」によれば1969年11月下旬1970年10月下旬まで神尾架け替えのために通行止めだったため、この路線運行できない。この路線開通により、神尾より先、当時印旛郡印西町(現印西市)の船尾武西地区および白井町(同白井市)の谷田神々廻白井地区に至るようになった。 これらの地区当時京成電鉄(のち、この地域に関してちばレインボーバス移管)が、既に昭和40年代以前より神崎線支線として船橋駅神崎武西という路線および草深線として木下駅天王前開拓事務所前(現・原青年館、と書いたが現存するのか不明)を運行していた。『草深三百年史』(現在、同書は『千葉ニュータウン前史になっている。)によると、1970年草深線が改変され武西神崎船穂船尾車庫天王前開拓事務所前という路線になったその後1973年開拓事務所解散しているので、この路線その時点で存在意義失い廃止になったらしい。 以上より1973年または1974年頃に東洋バス京成バス廃止区間神崎(=町田)〜武西)を引き継ぐ形で大和田駅白井開通させた。『印西町資料集によれば、その当時大和田駅白井便が2往復で、大和田船尾(=船尾小学校)便が3往復とのことである。なお、1979年には船尾便の全便が武西まで延長されている。なお、東洋バスはこの付近に武西という停留所と、武西一つ西に武西十字路という停留所設けていたが、京成武西停留所がどこなのか等、詳しいことは不明である。 また、白井線の開通ののち、佐倉市への乗り入れ行われた大和田駅下市場上志津入口志津駅線がそれである。これも詳しい時期こそ不明であるが、京成志津線が上志津入口国道296線上志津駅付近より200mほど西)〜勝田台駅間を区間廃止、すなわち京成志津線が大和田駅国鉄佐倉駅間を走っていたもの勝田台駅までに短縮しその後さらに上志津入口までに短縮した際に、勝田台駅栄町)〜上志津入口間の路線無くなってしまうため、これを東洋バス引き継いだ

※この「白井線の開通(1974年頃〜)」の解説は、「東洋バス」の解説の一部です。
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