白井義男との4戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 15:33 UTC 版)
1951年5月21日、世界フライ級王者として来日し、当時日本のホープだった白井義男とノンタイトル10回戦を行い判定勝ち。 同年12月4日、地元ハワイ・ホノルルでの白井との10回戦では7回TKO負けを喫する。 1952年5月19日、日本の後楽園球場で白井を挑戦者として迎えるも15回判定負けで王座を失う。 同年11月15日、白井の初防衛戦の相手としてリングに上がったが、この時も15回判定で敗れている。
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