白井義男との対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 23:52 UTC 版)
前述の通り、1949年1月、花田は白井義男の挑戦を受けた。両者は1947年に一度対戦しており、この時は花田が圧勝していたが、アルビン・R・カーン博士の指導を得た白井は、別人のごとく生まれ変わっていた。 カーン博士の提供する豊富な物資と万全のコンディショニングに支えられた白井と、前夜酒を飲んでいたともいわれる花田との差は蔽い難く、花田は白井の鋭い左ストレートを幾度となく浴び、5回にはロープ際に追いつめられ、強烈な左ボディアッパーを叩き込まれた。この一撃で花田はマットに沈み、立ち上がることができなかった。 カーンの指導によって真の近代的ボクシング技術を身に付けた白井と、戦前を代表する技巧派花田とのこの一戦こそ、日本の近代ボクシングの幕開けとなった試合と言えるかもしれない。そして花田に代表される「拳豪」の時代は終わったのである。 1953年2月7日、勝又澄雄との対戦で、TKOで敗れたのを最後に引退した。1966年死去。
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