病院中心モデルの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:33 UTC 版)
第二次世界大戦後の1950〜60年代、アフリカ、アジアのほとんどの国々が植民地支配から独立した。旧植民地の国々の多くは、適切な保健医療計画を必要とされる地域まで広げようとして、農村地域における疾病の予防を重視したが、ほとんどの国際援助機関は都市部における治療に投資を続けた。一部の国では、都市部の高度医療施設の維持のために、保健医療予算の半分以上を費やしていた。欧米でトレーニングを受けた医師たちの多くは、富裕層の健康課題に焦点を合わせ、大多数の貧困層の健康課題を無視し続けた。 この時代、公衆衛生において最も意味のあった発展は、準医師や保健補助員(ヘルス・アシスタント)のいる保健センターの誕生であろう。インド・ボーア・コミッションにより推進されたこのアプローチは、「基本的ヘルスケアアプローチ (Basic Health Care Approach; BHCA)」として知られる。 また、この時代に開始された公衆衛生キャンペーンとして重要なものは、天然痘やマラリアなどの感染症撲滅キャンペーンである。1958年世界保健機関総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、天然痘根絶計画が始まった。この計画は、1980年の根絶宣言へと実を結び、グローバル・ヘルスの歴史における輝かしい成果の一つとなった。
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