異説・陰謀説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 10:12 UTC 版)
事件の主犯は甘粕ではないとする説は事件当時の大正時代から根強く存在している。甘粕が模範的な士官と思われたことから「甘粕は事件自体に関与していない」「大杉以外の殺害は知らなかった」などのさまざまな説が生まれた。満州時代の甘粕は、満州映画協会幹部らとの私的な席で「ぼくはやっていない」という発言をし、陸士同期の半田敏治(満洲国国務院総務庁参事官)にも酒の席で「俺は何もやっちゃおらんよ」と語っていた。しかし一方で奉天特務機関の貴志彌次郎少将は吉薗周蔵(後述)に「甘粕に騙されるな」と注意しており、甘粕の経歴や裏の顔を指摘する声もあって、そこから発展して様々な異説や陰謀説も生まれた。主なものは以下。 憲兵司令官小泉六一主犯説 (憲兵司令部副官 上砂勝七の説) 戒厳司令官福田雅太郎主犯説 麻布第三連隊主犯説(脚本家笠原和夫の説) 陸軍幹部謀略説(竹中労などの説) 陸軍内秘密結社説(事件当時の読売新聞陸軍部長中尾竜夫の説) 甘粕=フリーメーソン説(評論家三宅雪嶺ほかの説) 大杉密偵説(吉薗周蔵の説) これらは大別すると、憲兵隊または軍が組織として主義者の殺害を命令したが事後に軍組織の関与を隠蔽して、実行者である甘粕らが命令者の責任を被ったというものと、実行者ではない甘粕らが命令者と実行者の両方の責任を被ったというもの、または非公式な組織や個人の命令や指示で甘粕らが実行したというもの、などに分けられる。 多くが指摘することは、渋谷と麹町の分隊長である憲兵大尉甘粕正彦が、直属の部下ではない、憲兵司令部付曹長である森慶次郎に命令していた点であった。2人に指示ができる命令者は、甘粕よりも立場が上でなくては組織上おかしく、これらが小泉や小山、福田が主犯と疑われる理由の1つとなっている。また軍隊内の結社説も、命令系統の無視を理由の1つとしている。
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