異説・俗説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 12:52 UTC 版)
九州王朝説では、大宰府が、古代北九州王朝の首都(倭京)であったと主張している。しかし査読のある学術雑誌において九州王朝を肯定的に取り上げた学術論文は皆無であり、九州王朝説および関連する主張は科学的な根拠の欠如したいわゆる俗説に過ぎないとの強い指摘が、専門家によりなされている。一方で、大宰府には天子の居所であることを示す「紫宸殿」「朱雀」「内裏」といった地名が残っていること、山城である神籠石の分布が畿内ではなく大宰府を防衛していることが明らかであること、条坊築造時期が藤原京条坊築造時期より古い可能性があり、その場合、日本最古の条坊がなぜ大宰府に築造されたのかの合理的説明が難しいなど、一概に俗説に過ぎないと言い切れない面もある。
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