異なる信仰・宗教共同体の間での通婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:49 UTC 版)
「チャム族」の記事における「異なる信仰・宗教共同体の間での通婚」の解説
ベトナム政府宗教班の「公認された各宗教組織名冊」(2020.3.1更新)は、フロイを除くチャムの諸集団を、バラモン教、バニー回教、イスラームに三分類する。これは阮朝のチャムに対する四分類「蛮、占、尼、藍」(マン、バチャム、バニー、ラーム)から蛮を除いたものとほぼ等しい。かつてはチャムとベト族(キン)の通婚や、チャム内部でもバチャムとバニーの通婚はタブーとされていたが、現在ではチャム内部の通婚はむしろ歓迎される。しかしバニーとイスラーム(シャーフィイー)の通婚はいまも難しい。一方、他民族とはいえ、山地民族は同胞と考えられており、経済・文化格差による差別はあるものの、通婚は問題ないとされる(チャムがラグライなどを養子にする伝統もある)。フロイは居住地がほかのチャム(バチャム、バニー、イスラーム)から離れているため通婚・交渉はあまりない。 ベト族においても、パリク道(いまビントゥアン省バクビン県)のキンキュウ(京旧:チャムとベト族のクレオール)の4集落:遵教村(いま Thôn Thái Hòa - Xã Hồng Thái)、新睦村(いま Thôn Thái Bình - Xã Hồng Thái)、春光村(いま Khu Phố Xuân Quang - Thị Trấn Chợ Lầu), 春会村(いま Khu Phố Xuân Hội - Thị Trấn Chợ Lầu)では、チャムとの通婚が普通に行われる。また、パジャイ道(いまビントゥアン省ハムタン県及びハムトゥアンナム県)の2集落:扶持村(Palei Bhumi= Thôn Phò Trì)と合義村(Palei Mâli= Thôn Hiệp Nghĩa)は、宗教上はほぼ純粋なチャム集落(バニー回教)であるが、血統上はチャムとベト族のクレオール集落となっている。 1975年4月の社会主義革命以降、地方政府・党支部とチャムの諸宗教とくにイスラーム(シャーフィイー)の対立が深刻になり、中央政府・党としてシャーフィイーとの対立解消に努めたことが、ベトナム共産党の「チャム同胞に対する工作に関する指示」(1983)に看取される。政府宗教班による「バラモン教、バニー回教、イスラーム」の公認は、1970-80年代の社会主義建設にあたり共産党が民間信仰を著しく制限する中で、祭祀継続のため、政府・党側とチャム側の双方で歩み寄った末の苦肉の策という側面もあった。バチャムの信仰はバラモン教と呼ばれるが、上記のように、その命名はチャムの創造主ポークック (アッラーと同一視される)がもつブラフマン的な性格に注目したためであり、現存するバチャムの祭祀文献にはヒンドゥー教やバラモン教に関するものはほぼ皆無である。フランス植民地時代の慣習的呼称 Les Chames Brahmanistes を踏襲する形で、現在のベトナム政府も行政上の規定としてバチャムの人々を「バラモン教徒」と規定する。
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