留守師団と新師団
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1941年(昭和16年)10月8日、対アメリカ・イギリス開戦を前に、南方への進攻部隊に予定された第2師団の動員と、留守第2師団の臨時編成が命じられた。これにともない、留守第2師団が仙台師管を管轄するようになった。 1943年5月14日の昭和18年軍令甲第45号によって、留守第2師団を復帰(解散)し、新たに第42師団を置いた。留守師団に替えて本土の防衛を強化するためで、仙台師管はこの第42師団が管轄することになった。 1944年(昭和14年)2月1日に、第42師団は千島方面に転じた。留守第2師団がまた臨時動員され、師管を管轄した。 さらにこの留守師団をもとにして、4月4日に第72師団を編成した。仙台師管はこの師団の管轄下になった。 7月6日には第72師団も動員され、また留守第2師団が臨時動員されて師管を管轄した。
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留守師団と新師団
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第3師団が中国に出征していたため、名古屋師管に改称する前から1943年まで、師管の防衛・徴兵事務などは留守第3師団が担ってきた。1943年5月14日の昭和18年軍令陸甲第45号で、名古屋に第43師団が新設され、これが師管を管轄することになった。 しかし、1944年4月7日の昭和19年軍令甲第39号により、第43師団は動員を命じられて管区業務から離れ、代わりにまた留守第3師団が臨時編成されて名古屋師管を引き継いだ。
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留守師団と新師団
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第57師団は、翌1941年(昭和16年)年に実施された関東軍特種演習(関特演)に参加して満州国に所在する第3軍に入り、以後帰国しなかった。弘前師管は留守第57師団が管轄することになった。 太平洋戦争がはじまると、兵力の増強がさらに進み、1943年(昭和18年)に留守第57師団と独立第67歩兵団から第47師団が編成された。弘前師管はこの第47師団が管轄することになった。 1944年3月25日制定(27日公布、施行)の陸軍管区表改定(昭和19年軍令陸第3号)で、弘前師管は東部軍管区に所属変更した。これにあわせ、第47師団以下の諸部隊も同じ日に東部軍司令官隷下に入った。 戦争の敗色が濃くなると、内地からの兵力抽出が続き、1944年6月に第47師団も戦時編制に移行して大本営直属の予備戦力になった。ふたたび留守第57師団が動員され、弘前師管を引き継いだ。
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