田文の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 01:58 UTC 版)
田文の父の田嬰は斉の宣王の異母弟で、薛(現在の山東省棗荘市滕州市)に領地を持っていた。田嬰には子が40人もおり、田文の母は身分が低かった。さらに田文が生まれたのは5月5日で、この日に生まれた子は後に親を殺すと信じられていたため、田嬰は田文を殺そうとしたが、母は密かに田文を匿って育てた(ただしこの逸話は史実かどうか意見が分かれる)。田文が成人した後に初めて父に引き合わされた際、田嬰は怒りの声を上げた。すると田文は殺さねばならない理由を訊いた。田嬰が「5月5日に生まれた子は門戸の高さにまで成長すると親を殺す」という言い伝えを伝えたところ、田文は「門戸の高さを高くすれば良い」と返した。これには田嬰も思うところあって田文を許し、田文は田嬰の屋敷に住むようになったが、これまでの経緯もあって冷遇されていた。 ある日、田文は田嬰に「玄孫の孫」は何と言うか聞いた。田嬰がわからないと答えると田文は、斉の領土は増えていないにも関わらず、わが家が富を得ていること、今では続柄がよくわからないような血縁者が多いこと、そのような血縁者たちのために財産を残すのはおかしいと答えた。 そこで田嬰は食客を屋敷に招き、田文にその世話をさせることにした。すると食客の間で田文の評判が非常に高くなり、やがてそれが諸侯の間にまで知れ渡るほどまでになったので、田嬰は田文を跡継ぎに立てることにした。 父の跡を継いだ田文は、何でも一芸あれば拒まずと積極的に食客を迎え入れ、その数は数千を数えた。ある時、田文が食事の時に食客との間に衝立を置いたところ、食客の一人が「料理に差をつけているから隠すのだろう」と言い立てた。これを聞いた田文はその客に料理がまったく同じだと言うことを示した。疑ったことを恥じた客は自刎して果てた。
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