用字の変遷とは? わかりやすく解説

用字の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 16:05 UTC 版)

大和」の記事における「用字の変遷」の解説

古墳時代頃に漢字文化流入すると、「やまと」の語に対して「倭」の字が当てられるようになった中国では古くより日本列島人々政治勢力総称して「倭」と呼んでいたが、古墳時代に倭を「やまと」と称したこと[疑問点ノート]は、「やまと」の勢力日本列島代表する政治勢力となっていたことの現れとされる次いで飛鳥時代になると「大倭」の用字主流となっていく。大倭は、日本列島代表する政治勢力の名称であると同時に奈良地方を表す名称でもあった。7世紀後半から701年大宝元年)までの期間に、国号が「日本」と定められたとされているが、このときから、日本を「やまと」と訓じたとする見解がある。 奈良盆地を指す令制国の名称が、三野美濃、尾治が尾張、木が紀伊上毛野上野、珠流河が駿河遠淡海遠江、粟が阿波などと好字をもって二字国名統一されたのと同じく701年には「倭国」を「大倭国」と書ようになった考えられている。 奈良時代中期737年天平9年)、令制国の「やまと」は橘諸兄政権下で「大倭国」から「大養徳国」へ改称されたが、諸兄勢力弱まった747年天平19年)には、再び「大倭国」へ戻された。そして757年天平宝字元年8月18日改元))、橘奈良麻呂の乱直後に「大倭国」から「大和国」への変更が行われたと考えられている。このとき初めて「大和」の用字現れた。その後、「大倭」と「大和」の併用見られるが、次第に「大和」が主流となっていった。

※この「用字の変遷」の解説は、「大和」の解説の一部です。
「用字の変遷」を含む「大和」の記事については、「大和」の概要を参照ください。

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