甘藷(かんしょ)
ヒルガオ科の匍匐(ほふく)性植物。サツマイモ・リュウキュウイモ・カライモ・ウム・ハンスなど地域により様々な呼び名がある。暑さと乾燥に強く荒地にも平気で育つ。原産地は中央アメリカ。1492年、新大陸を発見したコロンブスがスペインへ持ち帰りこれが世界各地に広まったという説と、フンボルト海流に乗って太平洋を横断したという説がある。今日ではアジアとアフリカが二大産地であり、中でも中国は世界の全生産量の4分の3を占める。中国へは1594年、福建省びんの陳振龍が呂宋(るそん)から蔓(つる)を持ち帰り広めた。琉球への渡来は1605年のことで、尚寧(しょうねい)王の命を受けて明へ渡った野国総官(のぐにつがん)がびんから鉢植の芋を持ち帰った。儀間親雲上真常(ぎまぺーちんしんじょう)はこの芋を栽培普及させ、琉球での救荒食量を確保した。薩摩へは17世紀初頭ルソンなどの南方諸国より伝来したと伝えられ、同じころ(1615年)ウイリアム・アダムスは琉球から平戸の英国商館へ芋一袋を送っている。この当時は栽培や保存の方法が充分に分かっていなかったため、普及には至らず、広く栽培されるようになるのは1700年代になってからである。元禄一一(1698)年、琉球王尚貞からカンショ一篭(かご)が種子島の領主、種子島久基に贈られ、栽培された。これより七年後の宝永二(1705)年、南薩摩の揖宿(いぶすき)郡山川郷の漁民前田利右衛門が琉球からカンショを持ち帰り、急速に普及していく。利右衛門は唐芋翁(からいもおんじよ)と崇められ、明治一二年徳光(とくこう)神社に祀(まつ)られた。享保二〇(1735)年には救荒作物としての重要性が幕府に認められ、青木昆陽(こんよう)により普及が図られる。この後、カンショは救荒作物としてではなく、徐々に日常の重要食糧となっていく。カンショが焼酎原料となるのも1700年代に入ってからのことである。
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