環境学習センターから環境未来館設置へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 13:55 UTC 版)
「四日市公害と環境未来館」の記事における「環境学習センターから環境未来館設置へ」の解説
1996年(平成8年)、四日市市環境学習センターが開館した。同年には四日市市立博物館で「公害展」が開催されたが、四日市公害に関する記録や資料を残す運動を続けてきた澤井余志郎は、公害展だけでは事足りるものでなく、他の四大公害病発生地と同様に常設の公害資料館を設置するよう求めた。 本町プラザ4階に設置された四日市市環境学習センターは、環境問題に関する触れられる展示を行い、イベントも多く開催していた。環境学習センターでは創設当時から「公害資料コーナー」を設けていたが、わずか15m2しかなく、1996年(平成8年)の公害展の展示パネルと市民団体の機関誌を数十冊所蔵するのみであった。その後、2005年(平成17年)1月に「公害資料室」へと発展し、四日市市史編纂のために収集された資料などを受け入れ四日市公害の重要資料の集積地となった。また「四日市公害資料館」という市営のウェブサイトが開設されたが、情報量は不十分であった。 四日市市では2011年(平成23年)度から環境未来館の設置に向けた「あり方検討会」を設け、基本計画等の策定を進めた。同時に公害の関係者の証言を集め、散逸した関連資料の収集も行われた。当初市は公害の被害が大きかった塩浜地区に設置する計画であったが、地元自治会からの反対で頓挫し、四日市市立博物館内に整備することになった。また環境未来館の名称は2012年(平成24年)8月18日に決定したものだったが、公害病患者の遺族らからは「四日市公害資料館」とするよう求める声も強かった。 開館を前に、市は「四日市学」と称する環境科学を実践してきた三重大学と2014年(平成26年)10月に協定を締結し、持続可能な開発のための教育(ESD)や環境教育分野で協力することを決し、また市は環境未来館の解説員養成講座を開講し、解説員の育成を図った。
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