環境保全と観光
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2004年6月26日、住民を主役として官民一体で石見銀山遺跡の保全・活用を議論するための石見銀山協働会議がおこなわれた。そこでは、石見銀山が世界遺産に登録されることによる地域経済の活性化を期待する声が上がる一方で、観光地化による生活環境への影響を懸念する声も上がった。このように世界遺産の活用に関して住民が初めから参加しての取り組みが行われたのはアジアで初めてのことであり、この会議への公募に対して120人の応募者が集まった。2005年5月23日には、官民の連携のために「石見銀山維持・保全活動連絡会」が組織され、民間団体主導での石見銀山の清掃活動などが行われてきた。ICOMOSによる登録延期勧告が行われた直後の2007年5月28日に近藤誠一ユネスコ大使が石見銀山の視察に訪れた際には、地元住民たちが石見銀山の世界遺産登録に向けた熱意を持っていると報道され、世界遺産登録後も、登録1周年の2008年に行われた清掃活動である「クリーン銀山」のような地元住民らによる活動が続けられている。このような積極的な地元住民の活動の一方で、石見銀山は単なる「穴」だとして世界遺産登録に困惑しているという地元住民の声も取り上げられた。 登録翌年の2008年には観光客は81万人に達した。しかし、石見銀山が世界遺産に登録されて以降、観光ルートに暮らす住民らは観光客の殺到による治安悪化や騒音などの観光公害に直面し、不安の声が上がっていた。そのため、バスでの乗り入れの制限を行うなどの対応がとられたが今度は観光客の減少が起こり、観光振興と地域生活のバランスも課題となっている。ただ、地元の関連団体などでは産業遺産には理解が難しいところがあるためガイドが重要であり、観光客の満足度を上げるためにも観光客数は30万〜40万人がキャパシティ的には適切とみている。
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