現在のハッラーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:33 UTC 版)
現在のハッラーン地方は、日干しレンガで造られ木材を一切使わない、伝統的なドーム屋根の「ビーハイブ・ハウス」(蜂の巣箱状住宅)で有名である。この形状は中が涼しく、灼熱のこの地でも快適に過ごせるようになっており、この3000年以上基本的な設計は変わっていないとみられる。1980年代までは一般の居住用にも使われていたが、現在残っているこの型の住宅は観光客のための展示用であり、ハッラーンの住民のほとんどは遺跡から2km離れた新しい村に移っている。 現在は遺跡となっている古代都市ハッラーンでは、市の城壁や要塞が今も形をとどめており、市の城門のうちの一つは今も建っている。また中世に栄えた大学は、アイユーブ朝時代の建築の一部が残っている。近傍にある紀元前4世紀の墳墓も発掘がすすめられている。 ハッラーンの新しい村はトルコの中でも貧困な地方にある寒村で、ハッラーン平原での生活は夏の高温のため過酷である。住民の多くはアラブ系で、伝統的な様式に従い暮らしており、遺跡の観光客に近寄って商売やガイドなども行っている。この地のアラブ人は、18世紀にオスマン帝国により移住させられてやってきたとされている。 ハッラーン平原を流れていたバリフ川水系の支流群が1980年代末に涸れて以降、平原の多くの個所で農耕が放棄された。しかしトルコ政府がチグリス・ユーフラテス上流で計画する灌漑計画「南東アナトリア計画(英語版)」により灌漑工事が行われ、再度緑を取り戻しつつある。綿花やコメの栽培も再開されている。
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