王座の復活とは? わかりやすく解説

王座の復活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:47 UTC 版)

インターナショナル・ヘビー級王座」の記事における「王座の復活」の解説

全日本プロレスマットで復活したインターナショナル・ヘビー級王座トーナメント決勝1981年4月30日松戸市運動公園体育館行われる予定だったが、準決勝馬場戦で勝利する右足首を捻挫したブルーザー・ブロディ決勝戦棄権したため、ドリー・ファンク・ジュニア自動的に王者となった同日トーナメント参加者によるくじ引きドリーへの挑戦者決めたが、弟のテリー・ファンク当たりくじ引いて最初で最後兄弟対決実現し54ジャストエビ固めドリー初防衛成功している。 1981年10月9日ブロディドリー破って王座奪取。一旦はドリー王座奪回されるものの、1982年4月21日、再びドリー破り王座の再奪取成功その間ドリー当時アメリカで主戦場だったNWAフロリダ地区にて、ジャック・ブリスコマイク・グラハムブッチ・リードブライアン・ブレアーミスター・レスリング2号スウィート・ブラウン・シュガーなどを挑戦者防衛戦行っている)。 同年8月プエルトリコサンフアン行われたNWA総会において「NWA東洋シェアでの実績信用評価しインターナショナル・ヘビー級王座インターナショナル・タッグ王座インターナショナル・ジュニアヘビー級王座3つのインター王座は、今後PWF全日本プロレス半永久的に管理及び運営一任する」(総会出席した馬場・談)という決定がなされ、PWFヘビー級王座と共に全日象徴するシングルタイトルとなる。ブロディは再奪取以降通算1年4ヶ月10連続防衛という、外国人レスラーとしてはまれに見る長期政権樹立する。 そのブロディ1983年8月31日破り王者となったのがジャンボ鶴田で、王座奪取後のロッカールーム馬場から「今日からお前がエースだ」と祝福されたのは有名な話である。 鶴田時代は初奪取となった第14代王者として17連続防衛途中スタン・ハンセンブルーザー・ブロディ短期間奪われたものの5年7か月渡って王座維持したその間ニック・ボックウィンクルハーリー・レイスビル・ロビンソンテリー・ゴディアブドーラ・ザ・ブッチャーらの挑戦退けたほか、1986年3月29日にはハンセンAWA世界ヘビー級PWFヘビー級選手権との日本初のトリプル・タイトルマッチが実現した1988年頃から天龍源一郎呼びかけ三冠統一機運盛り上がりPWF王座UN王座とのトリプル・タイトルマッチが多くなった。インターヘビー単独タイトルマッチ最後に行われたのは、1988年9月9日鶴田ブッチャー挑戦受けて防衛した試合である。 1989年4月18日ジャンボ鶴田スタン・ハンセン破って王座PWF王座UN王座三冠王者となってからは、三冠ヘビー級王座として統合された。

※この「王座の復活」の解説は、「インターナショナル・ヘビー級王座」の解説の一部です。
「王座の復活」を含む「インターナショナル・ヘビー級王座」の記事については、「インターナショナル・ヘビー級王座」の概要を参照ください。

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