犠牲者数を巡る応酬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 04:59 UTC 版)
「2008年のチベット騒乱」の記事における「犠牲者数を巡る応酬」の解説
中国政府の暴動鎮圧活動に際して、チベット亡命政府は少なくとも140名以上の多くのチベット人が虐殺されたと主張している。対して中国の新華社通信は、チベット亡命政府の主張する犠牲者140人は裏付けが取れず、名前が公表された40名に関しては、所在地として記載された住所自体が存在する者はわずか5名で、住所と住民の姓名が一致する者は皆無だと主張し、中国政府は暴動全体での死亡者は22名だったと主張している。 2008年4月2日の「人民網日本語版」によると、現地に潜入していたチベット青年会議の中心メンバーは、青海省を逃走中に公安局に発見され、銃撃戦の末に射殺されたが、この際公安局のチベット人将校も死亡したと発表している。また、各地の寺院内に秘匿されていた武器・弾薬や爆薬などが発見された事を発表している。 4月3日夜に起きた四川省カンゼ・チベット族自治州での騒乱では、香港各紙は僧侶を含む8人が死亡したと報じている[要出典]。米政府系のラジオ・フリー・アジアは目撃者の情報として、15人が死亡、数十人の負傷者が出ていると伝え、中国の国営通信新華社は、地元当局者1人が重傷を負ったとしている。騒乱の原因について、ラジオ・フリー・アジアは消息筋からの情報として、3日朝にチベット人住民が地元の警察当局からダライ・ラマ14世の写真を掲げないよう求められたことに反発したことが発端だったと報じた。 2008年4月29日には、チベット亡命政府は死者数203人、負傷者は1千人以上、5715人以上が拘束されていると発表した。 2008年7月10日のチベット自治区のバイマチリン常務副主席の記者会見を報道した新華社通信によると、3月14日のラサ市暴動での逮捕者は953人、うち362人が自首、116人が裁判中であり、4月29日に30人の裁判が結審し、最も軽い者で懲役3年、重い者で無期懲役が言い渡され、6月19日・20日に12人の裁判が結審し、放火、窃盗、社会秩序騒乱罪、国家機関襲撃罪など19の罪状が認定された。
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