特許申請の取り下げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 16:10 UTC 版)
「箱根登山鉄道小田原市内線」の記事における「特許申請の取り下げ」の解説
1953年(昭和28年)小田急グループは「早雲山ロープウエイ株式会社」として架空索道の免許を取得し、1959年(昭和34年)箱根ロープウェイを設立した。箱根登山鉄道が日本電力時代である1930年(昭和5年)にすでに発表していたロープウェイ構想を具体化したもので、同年12月には早雲山 - 大涌谷が開通、翌年には大涌谷 - 桃源台を開通して全線が開業した。これにより小田急グループは小田急小田原線・箱根登山鉄道鉄道線・箱根登山鉄道鋼索線・箱根ロープウェイ・箱根登山鉄道バスを経由する自社グループによる「箱根ゴールデンコース」と称する箱根周遊ルートを確保した。グループによる芦ノ湖北側へのアクセスが確保できたことに加え、紛争相手であった伊豆箱根鉄道所有のバス専用道路についても神奈川県により芦ノ湖を周遊する湖畔線が1961年(昭和36年)4月1日付で神奈川県に買収されて県道として解放され、早雲山線についても同年中に買収される見込みがつき、箱根登山鉄道バスの芦ノ湖周辺における円滑な運行の目途がついた。 湖尻まで鉄道経由のルートが確保された上に、元箱根まで路線バスが通行できる公道も確保できた以上、当地にわざわざ専用道路を建設してまで無軌条電車路線を新規開業する理由もなくなり、1961年(昭和36年)6月24日付で温泉村四面塔 - 箱根町および小田原駅前 - 箱根板橋の軌道特許申請書を監督官庁に返付して箱根登山鉄道の無軌条電車計画は消滅した。
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