物語1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 04:20 UTC 版)
パイドロスが披露したリュシアスの話は、「ある男が恋しているわけでもない美少年を口説く弁論風の物語」で、男は少年に対して「自分に対して恋をしている者よりも、(男のような)恋していない者にこそ、身をまかせるべき」であることを、以下の根拠を挙げながら説得しようと試みている。 概ね、「恋をしている者がいかに正気を失って正常な判断ができない状態にいるか(そしてその相手がいかに不利益を被るか)、逆に恋をしていない者がいかに理性・分別を保ち賢明に振る舞えるか(そしてその相手がいかに利益を受けるか)」を強調する内容になっている。 恋をしている者は欲望が冷めると恋に駆られて相手に色々と無理して行った親切を後悔するが、恋していない者は自由意志で身の丈に合った最善の親切をするだけなので後悔することがない。 恋をしている者は恋のために自分自身の事柄をミスをしたり苦労したりすることの代償を求めてしまうが、恋していない者はそうしたことがないのでただ相手に喜んでもらえることだけを心をこめてする。 恋をしている者は常に新しい恋人だけを大事にし、時にはかつての恋人にひどい仕打ちさえする。 恋人を少数の「自分に対して恋をしている者」に限定せずに、「恋していない者」も含めて検討すれば、多数の中から優れた人物を相手として選ぶことができる。 相手との関係を世間に知られたくなかったとしても、恋をしている者は浮かれてあらゆる人々にそれをしゃべったり見せびらかそうとするが、恋していない者は自分自身を制御できるからそのようなことはしない。 また恋をしている者は常に恋人と一緒にいたがるのでその関係が周囲にバレてしまうが、恋していない者は節度ある振る舞いができるのでそのようなことはない。 恋をしている者は嫉妬に駆られて相手の周囲の人間関係を警戒し離反・孤立させようとするが、恋していない者は嫉妬しないのでそのようなことはしない。 恋をしている者の多くは相手の肉体が目的でありその欲望が冷めてしまうと関係は危うくなるが、恋していない者は肉体を目的としているわけではないのでそのようなことはない。 恋をしている者は相手の機嫌を損ねるのを恐れまた欲望によって心の眼が曇るので相手をほめそやして堕落させるが、恋していない者は恋心に惑わされることもなく相手のためになることをする。 恋をしていなければ強い愛情は生まれないのではないかという懸念は、家族愛や友愛の存在によって反証できる。 身をまかせるべき相手は、ただ一方的に乞い求めて来るばかりの者ではなく、善きものを与え返して自分の徳性を育んでくれるような者である。 ソクラテスはその修辞的な面は褒めるが、内容については不満を述べ、リュシアス自身も十分だとは思ってないだろうし、同じことを何度も繰り返すような内容だったと指摘する。さらに以前聞いた話で、今の話に見劣りしない話ができると述べたため、パイドロスに促され、今度はソクラテスが話を披露することになる。
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