牧野古白
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牧野 古白(まきの こはく)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。俗名は成時(しげとき)。法名の古白は古伯とも書く。利成とする文書もあるが一般的ではない。三河国今橋城(吉田城)主。
注釈
- ^ 波多野時政は三河守護細川成之に呼応したとする説がある。[要出典]
- ^ 合戦が行われた場所の現行の地名については、断定されていないが、豊川市御津町金野にかつて存在した灰野村か、あるいは豊川市牛久保町焼野に比定されている。[要出典]
- ^ 牛窪密談記によると、一色城入城の時、窪地の寝牛が通行を阻害していたが彼を前にこの牛は起き上がり道を開けたと言う。そして近くに牛頭天王社が有った。これを一同は牧野古白が国主となる瑞兆と慶び、彼は一色城の辺りの地名であった常荒(とこさぶ)を牛窪(うしくぼ)に改めたと言う。
- ^ もっとも古白の今橋牧野家の寄騎を石田氏・吉田氏・渡辺氏・能勢氏・石黒氏等とする説もあり、渡辺氏・能勢氏・石黒氏は、近世大名となった牧野氏の家臣団にもその名が見える。[要出典]
- ^ 応仁元年(1466年)勃発の応仁の乱では古白の主君一色時家の属する一色氏宗家は山名宗全入道の西軍側であった。戸田宗光(全久)は郡代一色政照が西軍であったものの、縁の有る三河守護職細川成之が細川勝元の東軍であったことも、牧野古白入道と戸田全久入道の対立の背景にあると考えられている[要出典]
出典
- ^ 堀田正敦等編『新訂 寛政重修諸家譜 第十一 』(続群書類従完成会、1965年)44頁
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