徳川幕臣牧野氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 09:21 UTC 版)
古白の子孫は、子・信成が享禄2年(1529年)(異説有り、天文元年(1532年))に三河岡崎城主・松平清康の攻撃を受け、吉田城(信成が今橋城から改名)の対岸で城下町の一画を占める下地(しもじ、現・豊橋市下地町)を放火され、吉田城も落城して兄弟の成三(三成という表記も有る)と共に討ち死にした。信成の子は尾張国知多郡大野(現・愛知県常滑市大野町)に逃れた。 この系統は織田氏・豊臣氏と主君を代え、関ヶ原の戦いで徳川方になり徳川氏の旗本になった。この牧野氏は本姓田口氏を名乗る。
※この「徳川幕臣牧野氏」の解説は、「牧野古白」の解説の一部です。
「徳川幕臣牧野氏」を含む「牧野古白」の記事については、「牧野古白」の概要を参照ください。
- 徳川幕臣牧野氏のページへのリンク