熱海銀座について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:23 UTC 版)
現在「熱海銀座」「銀座通り」と呼ばれている一帯は、かつて「本通町」「本町通り」と呼ばれていた温泉場の中心的な通りの海側(下町)に相当する部分であり、江戸時代までの熱海温泉の中心的な源泉であった「大湯間歇泉」やその付近に形成されていた温泉宿群(湯戸)がある商業的中心地だった「上町・本町」からやや下った、庶民・漁民が暮らしていた場所だった。 明治に入ると、江戸時代までの「湯戸」の支配体制が崩れ、自由な商業経済活動が行われる中で、商業開発のしやすさや立地条件の良さから、熱海の商業的中心地へと浮上することになった。 「銀座」の名は、関東大震災復興時に東京の銀座から正式に継承したものであり、戸越銀座に次いで日本で2番目、東京外では初めて「銀座」の名を継承した。かつては譲り受けた数寄屋橋の柳があったが、1950年(昭和25年)の「熱海大火」の際に焼失してしまった。 長らく観光客のための商業的中心地だったが、1960年代に入ると熱海駅周辺の開発も進み、他の市街地の開発も進んだため、徐々に存在感は薄れていき、象徴的な意味合いが強くなっていった。 1990年代以降、町の衰退と道を同じくし、2000年代には一時シャッター街と化すが、2010年代以降は、株式会社machimori等の地域おこし事業の効果や、株式会社TTCによる人気店の出店、熱海自体の観光地としての人気復活などもあり、活気を取り戻している。
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