無線通信の関連規則と規程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 06:51 UTC 版)
1903年(明治36年)に逓信省の無線実験は長崎県-台湾(約1200km)で通信可能なレベルにまで到達したが、まだ原始的な非同調式無線機だったため、海軍省の無線との混信は避けられなかった。そのころ海軍省は日露開戦に備えて、全国に海軍望楼無線局を建設することを決め、これに混信を与えないように逓信省の無線実験は中止となった。 日露戦争による開発中断で、海軍省に大きく遅れを取った逓信省の無線だったが、1908年(明治41年)5月16日、ついに銚子無線電信局JCSと東洋汽船の天洋丸無線電信局TTYによる海上公衆通信サービス(無線電報)が創業された。 無線の実用化が遅れていた逓信省では無線規則をまだ制定していなかったが、この開業に合わせて、電信法のもとに基本的な無線電報に関する「規則」と、無線局の具体的な通信方法(運用規則)を「取扱規程」として定めた。 無線電報規則(明治41年 逓信省令第16号、1908年4月8日公布、同5月1日施行)無線電報取扱規程(明治41年 逓信省公達第341号、1908年4月9日公布、同5月1日施行) また1906年(明治39年)にベルリンで開催された第一回国際無線電信会議の国際無線電信条約およびその附属業務規則が1908年(明治41年)7月1日に発効することから、これに準拠させ整合をとるための「規則」と「取扱規程」も整備された。 外国無線電報規則(明治41年 逓信省令第29号、1908年6月23日公布、同施行)外国無線電報取扱規程(明治41年 逓信省公達第527号、1908年6月24日公布、同施行) 先陣を切った銚子無線電信局JCS、東洋汽船の天洋丸TTYに続いて、同年5月26日に日本郵船の丹後丸YTGと伊予丸YIY、6月7日に加賀丸YKG、6月9日に安芸丸YAK、6月21日に土佐丸YTSが、そして7月1日には大瀬崎無線電信局JOS、潮岬無線電信局JSM、角島無線電信局JTSの3つの海岸局が開局し、日本の海上公衆通信サービスは順調に滑り出した。
※この「無線通信の関連規則と規程」の解説は、「電信法」の解説の一部です。
「無線通信の関連規則と規程」を含む「電信法」の記事については、「電信法」の概要を参照ください。
- 無線通信の関連規則と規程のページへのリンク