火山史・利用の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 02:16 UTC 版)
約22万年前に立山西斜面の火山活動が始まる。その後、立山カルデラが生成し、侵食が進むにつれ弥陀ヶ原と五色ヶ原を分割する格好となった。 1858年4月9日に発生した飛越地震により鳶山崩れが併発した。これにより、かつての大鳶山と小鳶山は完全に崩壊し、立山カルデラに大量の土砂が流れ込んだ。カルデラ内では立山温泉の温泉客と従業員が土石流により死亡。常願寺川上流部では天然ダムが発生。金沢藩と富山藩により警戒避難対策が講じられたが、4月23日(旧暦3月10日)、6月8日(同4月26日)の2度にわたり決壊、3万石以上に相当する田地が土砂に埋まり、死者・流失家屋も多数。下流の平野部に大きな被害をもたらした。また、カルデラ内からザラ峠を抜けて北アルプスにアクセスする登山ルート(古道)がなくなった。 その後も度重なる災害が発生し、最近では1969年の豪雨により一部の箇所が大規模に崩落。後にカルデラ内の立山温泉(前述)がルート寸断により廃止に追い込まれた経緯がある。 2016年、カルデラ内を地熱発電の適地として有望視していた富山県企業局が中心となり、立山温泉地域地熱資源活用協議会を発足。2017年度に旧立山温泉付近で掘削調査が実施される予定。
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