源流諸校
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1870年(明治3年)- 広島藩藩校の修道館(現修道中学校・修道高等学校)[要曖昧さ回避]内に医学所を設置。 1871年(明治4年)- 修道館の廃止により医学所閉鎖。医学所教師らは躋寿館を設立。 1874年(明治7年)6月 - 躋寿館を私設医学校とする。 1877年(明治10年)5月 - 広島県に移管され廣島縣醫學校となる。同時に医学校内に公立広島病院(県立広島病院の前身)を設置。 1878年(明治11年)3月 - 廣島縣病院附属醫學校と改称、甲種医学校となる。 1887年(明治20年)- 文部省の地方医学校統合方針により廃校。
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源流諸校
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1869年4月:神戸病院が開院。 1876年:神戸病院に附属医学所を併設。 1877年2月:神戸病院を公立神戸病院と改称。 1882年4月:附属医学所を兵庫県立神戸医学校と改称。 1882年12月:公立神戸病院を兵庫県立神戸病院と改称。 1888年3月:兵庫県立神戸医学校廃止。
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源流諸校
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1870年(明治3年) - 広島藩藩校の修道館(修道中学校・修道高等学校の前進)内に医学所を設置。 1871年(明治4年) - 修道館の廃止により医学所閉鎖。医学所教師らは躋寿館を設立。 1874年(明治6年)6月 - 躋寿館を私設医学校とする。 1877年(明治10年)5月 - 広島県に移管され県立広島医学校となる。同時に医学校内に公立広島病院(県立広島病院の前身)を設置。 1878年(明治11年)3月 - 広島県立附属医学校と改称、甲種医学校となる。 1887年(明治20年) - 文部省の地方医学校統合方針により廃校。
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源流諸校
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「東京外国語学校 (旧制)」の記事における「源流諸校」の解説
1871年:外務省「独魯清語学所」設置。 1872年:外務省「韓語学所」を長崎県下県郡(現・対馬市)厳原町久田道町の光清寺内に設置。 1873年3月:「独逸学教場」設置。 1873年4月:開成学校設立。語学課程と専門学課程(73年8月設置)があり、後者は東京開成学校への改組(74年5月)を経て77年4月、旧制東京大学(東京帝国大学 - 新制東京大学の前身)となる。 1873年5月:独魯清語学所を外務省より文部省に移管し「外国語学所」と改称。
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