港湾船舶事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:01 UTC 版)
「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「港湾船舶事業」の解説
LB&SCRはイギリスのショアハムとフランスのディエップを結ぶ海峡連絡フェリーを運行していた。また1847年にニューヘイブンまで路線が開通するとこの地の港を拡張し、埠頭などを新設した。同年からニューヘイブン - ディエップ間のフェリー路線が開通したが、その後すぐに中止された。その後1850年にはニューヘイブンとジャージーを結ぶフェリー路線が開通したが、1853年にはディエップ線が復活した。 1862年制定の法律により独自の蒸気船を所有・運航する権限を得たLB&SCRは、技師長のフレデリック・バニスター(英語版)に港とその施設の大幅な拡張を指示した。そして翌年にはフランスの西部鉄道とニューヘイブン - ディエップ間の旅客サービスを共同で運営することに合意した。このサービスは、パリへの「最短かつ安価な」ルートとして宣伝されていたが、競合するドーバー - カレー間のルートよりも海上での所要時間が長いため、決して最短ではなかった。また第一次世界大戦中はニューヘイブン港が軍当局に接収され、フェリーも徴用されていた。 1863年には上記路線の他にジャージー線の発着港をリトルハンプトンに変更し、さらにリトルハンプトンからオンフルールへの路線も開通させた。 また1880年までには、ワイト島のライド(英語版)とポーツマス港のフェリー・ターミナルを結ぶ路線ができていた。この路線はその後LB&SCRとロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)(L&SWR)が運営会社を買収し、共同運行を行なった。 1884年にはワイト島海上輸送会社が、ヘイリング・アイランド支線(英語版)のラングストン駅(英語版)からワイト島のセント・へレンズ(英語版)までを結ぶ貨物鉄道フェリー事業を始めた。レール輸送用のキャリアー(英語版)はスコットランドから移されてきた。この企業も1886年に買収されたが、その2年後には失敗に終わった。 以下は同社が保有した著名な船舶である。 ブライトン(英語版) ブリタニー(英語版) ディエップ(英語版) メイフラワー(英語版) ノルマンディー(英語版) ルーアン(英語版) ソレント(英語版) サセックス
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