港湾組合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 23:03 UTC 版)
「アルバート・アナスタシア」の記事における「港湾組合」の解説
移住してすぐブルックリン臨海区の荷役労働者になった。1920年にジョー・トリノという波止場の同僚と船の荷卸しを巡って口論になり、ナイフで刺して首を絞めて殺害した。翌年逮捕されて死刑を宣告され、シン・シン刑務所に送られた。独房で死刑待ちの日々を送ったが、2年後の再審で証人が証言を翻したり姿を消したため死刑が撤回され、無罪釈放された。 1920年代前半、カラブリア系のビアッジョ・ジオルダーノのギャング団に属し、パレルモ系マフィアのジョゼフ・ブサルドと酒の密輸の縄張りを巡って流血抗争に発展した。ブサルド派を殺害した容疑で警察にマークされた。1923年4月、車を走行中に待ち伏せしていた敵方に狙撃され、重傷を負った(同乗のジオルダーノが死亡)。 やがてフランキー・イェールの子分ヴィンセント・マンガーノの下で労働者へ恐喝やゆすり、貨物の横流しなどを行った。国際港湾労働組合ILAを隠れ蓑にその副支部長に弟のアンソニーが就任すると「殺人チーム」を結成し、ブルックリンの波止場を武力で支配した。組合の名を借りて港の労働者と経営者の双方から金をしぼりとった。 1920年代後半から1930年代初めにかけて、南ブルックリンの縄張りを巡ってパレルモ系のジョゼフ・プロファチ勢力と争った(後に和解)。組合内ではライバルだった同じカラブリア勢のギャングを葬り、マンガーノ組織の上位に登り詰めた。1929年5月、マンガーノらと全米のギャングの大集会、アトランティック会議に参加した。 マンガーノがジョー・マッセリア配下になり、マッセリア一家の幹部だったラッキー・ルチアーノと親しくなった。またフランク・コステロらと知り合った。言い伝えでは1931年4月、ヴィト・ジェノヴェーゼ、ジョー・アドニス、ベンジャミン・シーゲルらと共にコニーアイランドのイタリアレストランでマッセリアを銃殺したとされる。
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