港口切断反対運動とは? わかりやすく解説

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港口切断反対運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 22:11 UTC 版)

富山県営渡船」の記事における「港口切断反対運動」の解説

1961年昭和36年9月15日起工式挙げた富山新港は、当初1967年昭和42年)中の完成見込んでいたが、実際に1966年昭和41年になっても東防波堤と西防波堤一部完成したに過ぎなかった。工事思うよう進捗しない富山県としては、港口切断可及的速やかに行いたい意向であったが、地元青年団中心とした反対運動根強く1964年昭和39年2月には堀岡通勤者同盟同年7月には海老江通勤者同盟組織され1965年昭和40年1月11日には富山県労働組合協議会新湊地区労働者組合協議会及び富山地方鉄道労働組合中心となって富山新港港口切断対策富山県共闘会議結成するなど、運動の組織化進んでいった。1965年昭和40年8月1日には反対運動シンボルである「切断反対監視塔」が完成している。 こうして地下道建設富山地方鉄道射水線地下鉄化を求め富山新港港口切断対策富山県共闘会議及び地元振興会と富山県との交渉何ら進展せず平行線辿っていたものの、吉田実富山県知事が「交渉相手新湊市市議会」であると断言したことで事態急変し1966年昭和41年3月17日新湊市議会全員協議会において質疑討論省略した自由民主党議員による強行採決が行われ、富山県側の提案する形による港口切断着工決定した。これによってまず同年4月5日富山地方鉄道射水線堀岡駅 - 越ノ潟駅間が廃止され、同区間における代行バス運行開始された。また、同日より富山地方鉄道射水線越ノ潟駅 - 新湊駅間は加越能鉄道譲受され、同社新湊港線となった富山県道1号魚津氷見線堀切橋同日より撤去作業開始され以降仮橋による通行が行われた。

※この「港口切断反対運動」の解説は、「富山県営渡船」の解説の一部です。
「港口切断反対運動」を含む「富山県営渡船」の記事については、「富山県営渡船」の概要を参照ください。

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