清流2つの名前とは? わかりやすく解説

清流2つの名前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 05:08 UTC 版)

四万十川」の記事における「清流2つの名前」の解説

日本最後清流といえば四万十川」を想起するほどに有名になっているが、河川法上で1928年から1994年まで渡川わたりがわ)」が正式名称だった。1896年明治29年)の旧河川法により、1928年昭和3年11月1日に「渡川」を法律上公式名称に採用1964年昭和39年)の新河川法でも「渡川」だったが、1994年平成6年7月25日に「四万十川」と改名された。河川法一級河川名称変更はこれが初めてで、これは「四万十川」が「日本最後清流」として、全国的に有名となり認知されているという実情によるところが大きい。しかし高知県内では、知名度では劣るものの仁淀川方に水質では軍配が上がる江戸時代には「四万十川と書いて「わたりがわ」と呼ばれていたこともあるという。宝永5年1708年)の土佐物語には「四万十川 わたりがわ」と記されているという。 一方周辺の河川名を見ると、古来関係の深かった九州向かって向川(現在名中筋川)」、「渡川」を渡って中村四万十市)の市街その後ろに「後川」があり、位置的な名称と考えることもできる。 「四万十川」の語源については、諸説があり定かではない数多くの川(四万十の川)が合流している川である。 アイヌ語の「シ・マムト」(非常に美しい)が変化したのである上流部支流四万川中流部支流十川、あるいは上流部四万川中流部十川村の連称地名である。 四万石の材木を十回流し送るほど、豊かながあったという林業盛んな川である。 アイヌ語の「シマト」(砂礫の多い所)から来たものである一方、「渡川」の語源については、以下の2つの説がある。 『大言海』や『古今集』に出る小野篁の歌によると、「渡川」は「三途の川」を指すという。古代土佐では人を罰する際に、川より西の具同中筋方面流刑する「渡川限り」という罪名があり、明治初頭まで続けられと言われる中村古くから交通の要衝であって、川は渡船によって交通が行われていたから、川は「渡川」と名付けられた。

※この「清流2つの名前」の解説は、「四万十川」の解説の一部です。
「清流2つの名前」を含む「四万十川」の記事については、「四万十川」の概要を参照ください。

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