清末から民国初期のイスラーム改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 16:54 UTC 版)
「中国におけるイスラームの歴史」の記事における「清末から民国初期のイスラーム改革」の解説
清末に外国勢力が中国へ進出してくると、イスラーム教育の近代化を求める勢力と、アラブでの宗教改革に影響されたイスラーム改革運動勢力が誕生し、それぞれイフワーニー派と西道堂派と呼ばれた。 また、海上交通の発達によりエジプトやトルコへ留学する者やマッカへの巡礼者が増加し、アホンたちは教育制度の革新の必要性を感じた。王浩然を中心とする近代主義派のアホンたちは北京の牛街清真寺内に回教師範学堂を創設した。その翌年には別のアホンたちによって京師公立清真第一両等小学校が創設された。1925年には成達師範学校が創設され、1927年には四川に、1928年には上海に伊斯蘭師範学校が設置された。しかし、これらの学校は成達師範学校を除きほとんどが経済的な理由で中断された。 1912年5月には中国初のイスラーム組織である「中国回教倶進会」が結成された。1924年には上海で中国回教学会が設立され、月刊誌を創刊したりクルアーンの漢訳を行ってムスリムの啓蒙に努めた。 イスラームの近代化は新疆でも起こった。19世紀末にロシアのムスリムの間で始まった「ジャディード運動」と呼ばれるイスラーム改革で始まった「新方式」と呼ばれる教育方式を学んだものを教師として、1907年にはイリなどに学校が開設され、1914年にはオスマン帝国からトルコ人教師が派遣された。しかしこれらの近代化は保守派のムスリムの反対や新疆の省政府主席であった楊増新からの弾圧にあい、1920年代には頓挫した。
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