海軍出の侍従長とは? わかりやすく解説

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海軍出の侍従長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 17:06 UTC 版)

鈴木貫太郎」の記事における「海軍出の侍従長」の解説

1929年昭和4年)に昭和天皇皇太后貞明皇后希望で、予備役となり侍従長就任した鈴木自身宮中仕事には適していないと考えていた。鈴木侍従長という大役引き受けたのは、それまで在職していた海軍最高位である軍令部長よりも侍従長宮中席次にすると30位くらいランクが下だったが、格下になるのが嫌で天皇仕え名誉ある職を断った、と人々思われたくなかったからといわれる宮中では経験豊富侍従大半委ねつつ、いざという時差配昭和天皇話し相手徹し、「大侍従長」と呼ばれたまた、1930年昭和5年)に、海軍軍令部長加藤寛治ロンドン軍縮条約対す政府回訓案に反対し、単独帷幄上奏をしようとした際には、後輩加藤説き伏せ思い留まらせている。本来、帷幄上奏取り次ぐのは侍従武官長であり、当の奈良武次が「侍従長此処置は大に不穏当なりと信ず」と日記記しているように、鈴木行動越権行為のおそれがあった。 昭和天皇信任厚かった反面国家主義者青年将校たちから牧野伸顕と並ぶ「君側の奸」と見なされ、このあと命を狙われることになった一方で宮内省側でも青年将校らの動向当時懸念されており、「若し軍人宮中武装してきたらどうするか」が論議されときには鈴木即座に軍人でもなんでも無法の者は撃て」と述べたという。

※この「海軍出の侍従長」の解説は、「鈴木貫太郎」の解説の一部です。
「海軍出の侍従長」を含む「鈴木貫太郎」の記事については、「鈴木貫太郎」の概要を参照ください。

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