海軍入隊と家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 08:13 UTC 版)
「ロバート・キングスミル」の記事における「海軍入隊と家族」の解説
キングスミルは、ベルファストのキャッスル・チチェスターで、イギリス海軍大佐のチャールズ・ブライスと妻メアリーの息子として生まれた。元々の名はロバート・ブライスだった。1746年10月29日に、父の後を追って海軍に入隊し、14門スループ船のスピードウェル(英語版)の熟練船員となった。数年間スピードウェルで任務に就いた後、1748年10月3日に士官候補生となり、1754年7月5日に海尉試験に合格して、1756年4月29日に委任状を受けた。七年戦争の勃発により、ブライスはさらに昇進の機会を得、1761年2月には、やはりスループ船のスワロー(英語版)の艦長兼指揮官となって、この年の7月3日にフランスの私掠船スルタンを拿捕し、自らの地位を確固たるものとした。その後まもなく臼砲艦バシリスク(英語版)に異動した。この時期に一度本国に呼び戻され、ジョージ3世と結婚予定の、メクレンブルク=シュトレーリッツのシャルロッテ公女と、その随行員を送り届けるためのヨットに乗務した。この航海は激しい嵐のためなかなか進めなかったが、すべてのヨットと海軍軍人たちは無事にメクレンブルク=シュトレーリッツに到着した。その後ブライスはバシリスクに戻り、ロドニーと西インド諸島へ向かい。マルティニークとセントルシアへの急襲の支援を行ったが、ブライスはこの時に負傷した。 軍功への見返りとして、ブライスは1762年5月26日、ポストキャプテン(肩書のみでなく職権を有する海軍大佐)に昇進した。また、28門の6等艦クレセント(英語版)の指揮を命じられた。その後西インド諸島に戻り、七年戦争が終結した1764年までそこに滞在してからイギリスに戻った。1766年頃にエリザベス・コリーと結婚した。エリザベスは、ハンプシャーのシドモントンコートを、その年の1月8日に亡くなったおじから土地を受け継いでいた。ブライスはいったん海軍を退役し、戦争のない日々を、新しく得た富と地位を満喫しながら過ごした。
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