海軍入隊と英西戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/03 15:46 UTC 版)
「エドワード・ボスコーエン」の記事における「海軍入隊と英西戦争」の解説
イングランドのコーンウォール州トレゴスナン生まれ。初代ファルマス子爵ヒュー・ボスコーエンとその妻シャーロットの三男である。海への憧れから12歳にして海軍に入隊する。 1726年4月3日に60門艦「スパーブ」に乗務、フランシス・ホシェのもと西インド諸島に派遣された。英西戦争中の約3年間、ボスコーエンはこの艦に乗務している。次の3年は地中海艦隊のチャールズ・ウェイジャーのもとで「カンタベリー」、「ヘクター」、「ナミュール」に乗務。英西戦争を終結させたセビリア条約締結後にカディスとリヴォルノに向かった時にも「ナミュール」に乗務していた。1732年5月25日大尉に昇進、同年8月、かつての勤務艦である地中海艦隊の44門の4等艦「ヘクター」に再乗務した。1735年10月16日まで「ヘクター」に乗務した後、70門の3等艦「グラフトン」勤務に昇進。1736年3月12日、大佐に昇進し、ジョン・ノリスによって50門艦「レパード」の臨時指揮官に任命された。この昇進は海軍本部委員会により追認された。 1738年6月には20門の6等艦「ショアハム」の指揮権を与えられる。次なるスペインとの戦争に備え、西インド諸島に向かうエドワード・ヴァーノンに同行するよう命じられた。
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