海洋と貿易の自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 09:20 UTC 版)
貿易の自由についての古い記録は、交通の自由との関わりで海洋法や海事法に見られる。2世紀の古代ローマの法学者マルキアヌスは、海は所有の対象ではないと書いたとされ、ローマ帝国では海に管轄権はなかった。中世に入るとヴェネツィアがアドリア海の支配を主張し、他のイタリア都市国家やヨーロッパ各国でも近海の支配を主張した。海上貿易のための規則としては、東地中海ではビザンツ帝国でロードス海法(英語版)が用いられ、西地中海では14世紀頃にバルセロナで作られたコンソラート・デル・マーレ(英語版)が私法や商事紛争の解決を定めた。 領有について最も問題となったのがトルデシリャス条約(1494年)だった。この条約でアメリカ大陸の陸地と海洋がスペインとポルトガルに分割され、教皇アレクサンデル6世が承認した。これに対してイギリスのエリザベス1世は、海の領有や海上貿易の独占を許さないと主張した。エリザベス1世はフランシス・ドレイクらの私掠船による略奪を公認しており、航海の自由は私掠船政策を維持するためにも必要だった。オランダの法学者フーゴー・グロティウスは、『自由海論』(1609年)でポルトガルの海洋支配に対して海洋の自由を提唱した。グロティウスの説は新興国であるオランダの国益に沿う内容でもあった。 多島海のある東南アジアは古来から貿易が容易な環境であり、国家は貿易の独占をせずに中継港など取り引きの場を提供することで利益を得た。こうした国家を港市国家とも呼ぶ。17世紀にはオランダ東インド会社の進出で制限を受けるが、18世紀以降は中国での需要の高まりを受けて、再び貿易の自由が求められるようになった。
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