海洋の放射能汚染調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/01 05:42 UTC 版)
1960年、カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所(Scripps Institution of Oceanography)のセオドア・フォルサム博士(Theodore Robert Folsom)らは、南カリフォルニアの海水中のセシウム137の濃度をネイチャー誌に発表した。一方、三宅、猿橋らは日本近海におけるセシウム137の濃度を報告し、その値はフォルサムらの報告した値よりも10~50倍の高さを示した。三宅、猿橋らは日米における測定値の差を海流の解析によって説明したが、海水で希釈されるので放射能汚染の心配はないとして核実験の安全性を主張していたアメリカを初めとした科学者からは猿橋らの測定を誤りだとして批判が起こった。 そこで、三宅はアメリカ原子力委員会に同一の海水を用いた日米の相互検定を申し入れ、1962年から1963年の間、猿橋は放射能分析法の相互比較を目的としてスクリップス海洋研究所に招聘され、フォルサムとの間で微量放射性物質に対する分析測定法の精度を競うこととなった。猿橋の分析は高い精度を示し、フォルサムは猿橋の分析を認め高く評価するようになり、日米の測定法の相互比較の結果は共著として発表されることとなった。
※この「海洋の放射能汚染調査」の解説は、「猿橋勝子」の解説の一部です。
「海洋の放射能汚染調査」を含む「猿橋勝子」の記事については、「猿橋勝子」の概要を参照ください。
- 海洋の放射能汚染調査のページへのリンク