海外展開・経営多角化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 02:13 UTC 版)
社長就任直後にガンプラがヒット。前述の約束のこともあり「『ガンプラ』が売れたおかげでその後も社長でいられた」と語っている。当時の新聞に「機動紳士」と書かれた。[要出典] 1983年にバンダイグループ8社をバンダイ1社に合併する。この際にポピーのキャラクター路線でバンダイの社風を統一する。これに関して後に「(キャラクターが)一番イージーだった」と語っている。また純玩具をなくしキャラクター玩具のみになってもよしとした。[要出典] 前述のように輸出部にいた経緯から海外展開に積極的だったがバンダイのような日本のブランドは海外では相手にされなかった。最初の成功はフランスで、同国では日本のアニメ(UFOロボ グレンダイザー、仏:Goldorak(ゴルドラック))のフランス語吹替えで成功した。しかしこの手法はアメリカでは通用せず、同国で成功するには、戦隊シリーズ『パワーレンジャー』の登場を待つことになる。[要出典] 経営の多角化は社長就任後加速し、次々と新規事業を手掛けることになり直治は「また赤字事業がはじまった」と周囲にこぼしていた[要出典]。これは玩具事業だと山科直治が育てた古参社員が邪魔だったからとされている。特に映像事業は「社長の道楽」と言われるもののガイナックスなどの若い才能を育てることとなる。[要出典] 多角化戦略の最終目標はディズニーのような「総合エンターテインメント企業」であり、「私は日本のウォルト・ディズニーになりたい」と語っている。[要出典] 1985年にプラザ合意による急激な円高で輸出の採算が悪化。「もう(日本国内での)合理化はやめた」と語り海外生産比率を引き上げることを決定する。後には「将来、国内生産をゼロにしたい」、「日本でおもちゃを造る時代は完全に終わった」などと語っている。[要出典]
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