泥間似合紙(どろまにあいし/どろまにあいがみ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/12 13:57 UTC 版)
「鳥の子紙」の記事における「泥間似合紙(どろまにあいし/どろまにあいがみ)」の解説
名塩は鳥の子で知られているが、近世に高級な襖紙として重宝された泥間似合紙の産地としても有名になった。「名塩鳥の子紙」の銘柄が、上方の取引市場に出るのは寛永15年(1638年)からといわれ、近世初期には名塩鳥の子の名で上方市場の有力商品となっていた。岡田渓誌著『摂陽群談』(元禄14年(1701年)刊)には、 「名塩鳥の子土、同所にあり。この土を設け鳥の子紙に漉き交え美を能くす」とある。 紙に漉き入れする泥土は、名塩の山麓や段丘に神戸層群第二凝灰岩と呼ぶ地層があり、所々に露出している。 凝灰岩は、火山灰火山砂などが堆積してできた岩石であり、石質は非常にもろく、容易に発掘でき、白・青・黄・渋茶などの色目をしている。これらの名塩鳥の子土(泥土)には、東久保土(白色)、天子土(卵色)、カブタ土(青色)、蛇豆土 (茶褐色)などの名があり、一種または二種を混合して漉きあげ、五色鳥の子、染め鳥の子などとも呼ばれた。 これらの名塩特産の泥土を門外不出として守った。名塩の泥土を紙に漉き込むには、まず粉砕して土壺と呼ぶ約40センチ四方の穴に入れ、水を加えて土こね棒でこねて泥状にし、さらに微粒子になるまで徹底的にすりつぶす。微粒子にすりつぶした泥土を、大きな樽に入れて水を加えて一時間程攪拌して一昼夜放置する。すると樽の中に極小の微粒子だけが浮遊しており、微粒子の少ないうわ水を捨て、底に沈殿している微粒子のカスを残し、その昼間の微粒子の含有の多い水を掬って別の大きな容器に移して、沈殿を防ぎ雁皮などの繊維への密着凝固を助けるために苦汁を加える。このようにして、水に浮遊している微粒子状の名塩土を、紙料に混入して紙を漉く。泥土を混入して着色すると、虫害に強く紙の隠蔽性が向上するとともに、日焼けせず長期間の保存に耐える耐候性が向上し、紙の肌がきめ細かくしっとりとした風合いがでる。欠点としては、泥土の混入が多い紙は柔軟で破れやすく、他の紙に比べて目方が重く、さらに墨で文字を書くと滲(にじ)むなどといわれている。これらの短所は、泥土の混入の比率の多い下張り用の間似合紙のことであり、混入比率の少ない高級間似合紙や鳥の子紙になると、欠点が少なくなり、色紙や短冊、書簡用半切り紙、書写用経紙、藩札などに用いられた。 名塩の青色の泥間似合紙は「箔下間似合」といって、金箔を押す下地に使用すると、金箔の皺がよらず金色が冴えるため、箔打ち紙として使用された。金箔打紙には東久保土、銀箔打紙には 蛇豆土を混入した。さらに青色の泥間似合紙は、隠蔽性の良さと日焼けしにくい特性から、襖用の間似合鳥の子紙として使用され、上方市場に近いことから発展した。 間似合紙は、半間(三尺、約90cm)の間尺に合う紙の意で、普通は襖障子を貼るのに用いられる。横幅は三尺一寸ないし三尺三寸で、標準的な杉原紙や美濃紙の横幅の倍ほどもあり、縦幅は一尺二寸ないし一尺三寸である。それまでの唐紙は横幅一尺六寸、縦幅は一尺九分が標準で、襖障子を貼るのに十二枚必要であった。間似合紙は五枚ないし六枚で足り、間似合唐紙とか間似合鳥の子ともいわれた。
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