江戸時代の植林
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:45 UTC 版)
伊達政宗による仙台開府以前、この土地は「宮城野」と呼ばれており、仙台平野には木がほとんどなかったと言われている。現在の仙台市の中心市街地に当たる部分も、城下町が建設される以前はススキやヨシが生い茂る草原だった。 城下町が造られると、その中の武家屋敷において植林が行われて屋敷林が形成された。武家屋敷は広大な敷地を持ち、屋外空間が広く取られていた。例えば、昭和初期に行われた調査では、とある仙台の中級家臣の旧邸宅は、敷地に対する家屋の面積は7パーセントだった。仙台藩は継ぎ木を分け与えるなどして、家臣に植樹を奨励した。武家屋敷の敷地に植えられた樹種は、主にスギ、マツ、キリ、カキノキ、ナシ、クワ、クリなどである。果樹は食料として利用され、屋敷林は武士による生産活動の場だったとされる。また、これとは別に、郊外の神社仏閣でも境内や参道、敷地の辺縁で植樹が行われた。 このような城下町での植林は仙台に限ったことではなく、日本各地の城下町で一般的に行われていた。ただ、仙台の城下町は、元禄年間(1688年から1704年)において城下町における武士の比率が8割に達するなど、他の城下町と比べて武士の割合が高く、また、城下町の屋敷林、郊外の寺社の並木、周辺の丘陵地と続く樹林の連続性という特徴を持っていた。
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