江戸時代の東俣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 14:35 UTC 版)
「東俣町 (鹿児島市)」の記事における「江戸時代の東俣」の解説
江戸期には薩摩国日置郡郡山郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」では2,121石余、「郡山郷土史」によると明治初年には1,184石余であった。古くは厚地(現在の花尾町)、柚須木も東俣のうちに含まれており、江戸時代の前期から中期にかけて東俣村から分村し、柚須木村と厚地村として設置されたとされる。また同時期に村高が400石余増加したという記録がある。 東俣には御茶屋と呼ばれる藩主の休憩宿泊所が置かれており、島津斉宣が利用したという記録が残っている。
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