江戸以前の漁業とは? わかりやすく解説

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江戸以前の漁業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:17 UTC 版)

瀬戸内海」の記事における「江戸以前の漁業」の解説

瀬戸内海縄文時代から今日に至るまで、多様な漁業の場となってきた。弥生時代には既にタコツボによるタコが行われていたことも、出土物によって明らかになっている。 江戸時代には肥料用いイワシ獲る地引き網船引き網漁が盛んとなった。またイカアナゴキスエビナマコなどを狙う手繰網漁、現在も鞆の浦行われている鯛網漁、帆走しながら網を引く打瀬網漁など、様々な網漁が行われていた。これらの漁法瀬戸内海とどまらず房総半島などにも伝播した。また瀬戸内海内部でも、紀州考案されイワシ船引き網漁法真鍋島宇和島安芸草津など各地伝播したことが知られている。 大物を狙う一本釣り漁も江戸時代発達した漁法である。これは主に潮流早い瀬戸中心に行われた漁法で、ハマチカレイサワラなどを対象とした。一本釣り発達促したのは、中国から輸入されるようになった天然テグス存在である。これを最初に一本釣り漁に用いたのは、現在の鳴門市にある堂浦漁民であったが、この漁法17世紀後半現在の周防大島町にある沖家室島伝播し、沖家室島瀬戸内海有数一本釣り漁の基地として栄えた。現在も大物釣り用の釣り針基本的なデザインである「かむろ針」は沖家室島考案されたものである。その他、佐賀関音戸三津浜牛窓雑賀崎などが一本釣り漁で有名な漁村である。 こうして獲られた高級魚船内生け簀入れたまま大坂まで運ばれ高値売却された。祇園祭の頃に旬を迎えハモ活け締めにして京まで運ばれた。広島カキ江戸時代には関西広く流通していた。

※この「江戸以前の漁業」の解説は、「瀬戸内海」の解説の一部です。
「江戸以前の漁業」を含む「瀬戸内海」の記事については、「瀬戸内海」の概要を参照ください。

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