永楽帝はトゴン・テムルの子であるとする説とは? わかりやすく解説

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永楽帝はトゴン・テムルの子であるとする説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 14:52 UTC 版)

トゴン・テムル」の記事における「永楽帝はトゴン・テムルの子であるとする説」の解説

明の第3皇帝永楽帝生母についてモンゴル史料である『アルタン・トブチ』や『蒙古源流』においては永楽帝生母トゴン・テムルの妃でコンギラト出身女性であり、洪武帝が後にその女性を娶った際に彼女はトゴン・テムルの子妊娠中であり、したがって永楽帝トゴン・テムルの子であると記されており、中国側でも同様の説が広まっている。 関連して永楽帝父親とされるトゴン・テムルコシラ実子ではないといわれており、南宋最後の皇帝恭帝トルコ系女性との間にもうけた遺児であるという説があり、その説との関連性指摘する周清澍(内モンゴル大学)などの研究者存在する。 周清澍(内モンゴル大学)によると、永楽帝トゴン・テムルの子記述するもっとも早い漢籍は、1623年の『南京太常寺志』であり、永楽帝生母を碽妃(中国語版)と記述しその後の諸文献は大体『南京太常寺志』の記述踏襲している。さらに、明孝陵奉先殿内配列根拠に、中央洪武帝馬氏をはじめ、東側には諸妃を並べたのに対し西側は碽妃(中国語版ひとりだけ神座があり、これだけ優遇されているのは、永楽帝生母であるからだ、と諸文献伝えている。 モンゴルには、永楽帝トゴン・テムルの子であるとする無数の民間伝承やそれらを書きとめた写本数多あり、アントワーヌ・モスタールトは、これらの民間伝承採録し、世界伝えたことで知られる永楽帝は父・洪武帝実録である『明太祖実録中国語版)』の出来自身都合が悪いことがあったらしく気に入らず3回編纂し直し命じている所から見て自身都合の悪い記述永楽帝改竄している可能性否定できず、永楽帝記述脚色加えたり粉飾行ったという疑い濃厚である。永楽帝母親馬氏とする『明実録』も燕王朱棣永楽帝になってからの記載であり、当然粉飾加わっている。 寺田隆信によると、永楽帝生母について馬皇后説」「達妃説」「碽妃説」「トゴン・テムルの妃説」など5説前後分けられるとするが、寺田隆信は「今日となって調査する材料もない」として諸説紹介するとどめている。

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