水浴図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 15:22 UTC 版)
セザンヌは、水浴を主題に多くの連作を制作している。最初は、男女混合で、男性水浴者が森の中で女性水浴者を覗き見するものなど、男女の関わり合いを描くものもあったが、その後、男女は別々に描かれるようになった。男性水浴図は、少年時代にアルク川(英語版)で水遊びを楽しんだ原体験が投影されており、攻撃性や闘争性が表れている。一方、女性水浴図は、ユートピアでくつろいでいる姿となっている。 マネ、ルノワール、モネ、ドガ、トゥールーズ=ロートレックなどが、近代化の進むパリの情景を好んで描いたのに対し、セザンヌは、そうした近代的情景を好まず、自然を追い求めた。セザンヌの水浴図には、そうしたユートピアへの指向が表れている。 1905年1月にエクスを訪問したR.P.リヴィエールとJ.F.シュネルブに対し、セザンヌは、描きかけの大水浴図(バーンズ・コレクション蔵のもの)について、「1894年から制作しています。クールベのように徹底した厚塗りで描きたいものだ。」と述べている。1904年のベルナールの訪問時には、セザンヌは、ヌードを描くのに、田舎ではモデルを見つけるのが難しいといった理由から、アカデミー・シュイス時代のデッサンを見ながら制作していることを打ち明けている。 マティスは、1899年にヴォラール画廊で『3人の浴女』を購入し、長く制作の手本とし、『生きる喜び』(1905-06年)など多くの裸婦を描いた。 『休息する水浴者(男性水浴)』1876-77年。バーンズ・コレクション。 『3人の浴女』1879-82年。プティ・パレ美術館。 『女性水浴図(5人の浴女)』1885年頃。バーゼル市立美術館。 『大水浴図』1894-1905年。ナショナル・ギャラリー (ロンドン)(ロンドン)。 『大水浴図』1906年。フィラデルフィア美術館。
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