気象局との契約と世界初の音声無線通信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 14:30 UTC 版)
「レジナルド・フェッセンデン」の記事における「気象局との契約と世界初の音声無線通信」の解説
1900年、レジナルドはピッツバーグ大学を辞めてアメリカ気象局に移り、海岸線に沿って無線局のネットワークを構築して気象情報を送信し既存の電信網を使わずに済むようにするという仕事にとりかかった。契約によって気象局はレジナルドの発明を自由に使えるが、発明品の所有権はレジナルド自身が保持することになった。すぐさま(特に)受信機の設計で大きな進展があり、音声信号の受信機能を開発していった。まずバレッタ検波器を開発し、その後、硝酸に浸した細いワイヤでできた電解検波器を開発した。電解検波器はその後数年間、無線受信機の検波の標準となった。研究の進展の中でレジナルドはヘテロダインの原理も発見した。これは2つの信号を掛け合わせることで第3の可聴音を生成するものである。しかしヘテロダインには安定した局所信号が必須であったため、発振用真空管が開発されるまで約10年ほどは実用化できなかった。 当初の仕事場はメリーランド州 Cobb Islandにあった。ポトマック川沿いのワシントンD.C.から80kmほど下流である。1900年12月23日、その場所で高周波火花送信機による実験を行い音声信号を約1.6km離れた地点で受信することに成功した。これが世界初の音声無線送信である。当時の音質はひどいもので商業化はまだ無理だったが、この実験で技術を改良していけば音声信号を無線で送信できることが証明された。 実験の進展に伴い、大西洋岸(ノースカロライナとバージニア)に新たな無線局を建設した。そんな中、スポンサーとの論争に巻き込まれた。気象局長 Willis Moore が特許による利益の半分を要求したがレジナルドはこれに応じず、気象局との契約は1902年8月で打ち切りとなった。
※この「気象局との契約と世界初の音声無線通信」の解説は、「レジナルド・フェッセンデン」の解説の一部です。
「気象局との契約と世界初の音声無線通信」を含む「レジナルド・フェッセンデン」の記事については、「レジナルド・フェッセンデン」の概要を参照ください。
- 気象局との契約と世界初の音声無線通信のページへのリンク