民生用プログラム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 06:35 UTC 版)
「ブルーストリーク (ミサイル)」の記事における「民生用プログラム」の解説
詳細は「ヨーロッパ (ロケット)」を参照 軍事用のプログラムが中止された後も、それまでにブルーストリークに費やした莫大な費用を惜しむ声があり、ブルーストリークを「ブラックプリンス」の名前でイギリスの人工衛星打ち上げ用ロケット(ローンチ・ヴィークル)の第1段として転用する計画が持ち上がった。第2段目にはブラックナイトロケットからの派生品が、軌道投入段には小型の過酸化水素・ケロシン ロケットが予定されていた。 しかし、イギリス単独のこの計画も費用がかかりすぎることが判明したため、費用を低減しながらブルーストリークを有効利用するため、また米ソの熾烈な宇宙開発競争に対抗するために、イギリスが中心となって1964年に欧州ロケット開発機構(ELDO)が設立された。ELDOのヨーロッパロケット計画では、ブルーストリークを第1段目として使用するのは変わらなかったが、2段目と3段目にはフランスとドイツのロケットが使用されることとなり、それぞれが分担金を支払う事になった。 ヨーロッパロケットの開発では、1964年から1970年まで同ウーメラ試験場で飛行試験が行われ、9号機(6号機は2機分の記録があり実質計は10機)まで打ち上げられた。ブルーストリーク単独やダミーの上段と組み合わせた5号機までの飛行試験は何れも成功であったが、6号機以降フランスとドイツの上段ロケットやイタリアのフェアリングを組み込んだところ、全ての打ち上げに失敗した。1971年10号機の打ち上げはフランス領ギニアのクールーで実施され、これも打ち上げ失敗に終わった。 結局最終的にはプロジェクトは中止され、これがブルーストリークの最期でもあった。そして、このプログラムの失敗を教訓にして、ELDOに替わって1975年に欧州宇宙機関(ESA)が発足した。
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