歴史の終わりの思想史的位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:36 UTC 版)
「歴史の終わり」の記事における「歴史の終わりの思想史的位置づけ」の解説
ジャン=フランソワ・リオタールは、社会の全体をひとつの理論でとらえようとする大理論の否定として「大きな物語の終結」を主張し、ポスト・モダンの到来を説いたが、フクヤマはそれを復活させた。すべての民族、文化圏、宗教圏に共通する普遍的な歴史、「大きな物語」は存在すると主張した上で、その完了(否定ではなく)として、歴史の終わりを説いたのである。 心理学者ベンス・ナナイが、過去は大きく変化するが未来はそれほど変化しないと思い込む人間の心理的錯覚、傾向性のことを、「歴史の終わり幻想」(end-of-history illusion)と表現したが、これもフクヤマの歴史終焉論のことをいっているのであれば通俗的な誤解の1つであり、フクヤマは社会が変化しないと指摘しているのではない。リベラル民主主義はその合理性と柔軟性ゆえにどのような社会の変化にも適応できると指摘しているのだ。そもそも、フクヤマの歴史終焉論は反証可能性を有した社会科学的仮説であり、錯覚や幻想という感覚的で曖昧なものではない。実際に冷戦以後も、湾岸戦争、アメリカ同時多発テロ事件、リーマン・ショック、東日本大震災、コロナパンデミックなどさまざまなトラブルに見舞われたが、民主体制はそれらに柔軟に対処し、乗り越えていっているのである。
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